神仏分離令
仏教排斥を意図したものではなかったが、廃仏稀釈の運動が全国に広まり仏教界は大打撃を受けた。が、一部地域を除き、民衆に普及したものではない
1869年 明治2年
開国
7月25日
版籍奉還
藩主らが版(土地)籍(人民)を天皇に返上
1870年(明治3年)
普仏戦争
仏>ナポレオン3世、フランソワ・アシル・バゼーヌ
普>ビスマルク、ヴィルヘルム1世、大モルトケ
パリコミューン成立
1871年(明治4年) 8月29日
廃藩置県(はいはんちけん)
山縣有朋、井上馨、西郷隆盛、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允
版籍奉還を受けて本格的な地方政治形態改革の実施
ドイツ統一
ビスマルク
戸籍法の制定
日清修好条規・通商章程
伊達宗城全権大使
1872年(明治5年)
「学問のすゝめ」初版発行
福沢諭吉
3月29日
毎日新聞(東京日日新聞)創刊
9月5日
学制の公布
日本で初めての学校法令
10月14日
日本初の鉄道が開業(新橋~横浜)
近代以降日本統計に1872年以降の年度末営業キロの統計あり
1873年(明治6年) 1月1日
日本で太陽暦を導入
1月10日
徴兵令が施行
満20歳の男子 抽選で3年の兵役 1876年以降の陸海軍兵員数データは近代以降諸統計にあり
7月28日
地租改正法の制定
神田孝平
8月1日
第一国立銀行が営業開始
日本初の商業銀行。現在のみずほコーポレート銀行
1874年(明治7年) 1月17日
民撰議院設立建白書
板垣退助、後藤象二郎 自由民権運動の始まり
5月22日
台湾出兵
大久保利通
11月2日
読売新聞創刊
1875年(明治8年) 5月7日
樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)
黒田清隆、榎本武揚 日本は樺太を放棄し、ロシアから千島18島を譲渡される
9月20日
江華島事件
1876年(明治9年) 3月28日
廃刀令の発布
山縣有朋
日朝修好条規
1877年(明治10年)
西南戦争
【薩摩方】西郷隆盛、桐野利秋(中村半次郎 幕末四大人斬りの一人) 【政府軍】佐川勘兵衛(警視庁抜刀隊 大警部 旧会津藩家老) 斉藤一(元新撰組 旧会津藩士) 【報道関係】犬養毅(報知新聞記者 後総理大臣) 最後の士族の反乱と言われる。四民平等の世で旧薩摩藩出身士族が藩士としての意識を捨てられなかった故に起きてしまった内乱としての側面と、政府内であまりに力を持ちすぎた薩摩藩閥への反動としての側面がある。なお、政府方に動員された旧会津藩出身の警視庁抜刀隊にとっては、維新戦争の遺恨戦争でもあった。 司馬遼太郎「翔ぶが如く」
ニコニコ動画:錦絵で見る士族反乱 ~佐賀の乱から西南戦争まで~1878年(明治11年)
露土戦争
この戦争が原因でロシア東方に進出
5月14日
紀尾井坂の変
大久保利通、島田一郎 大久保利通が島田一郎らによって暗殺される
1879年(明治12年)
琉球処分
1月25日
朝日新聞創刊
1881年(明治14年) 11月30日
日墨修好通商条約
陸奥宗光(日本全権)、ロメロ(メキシコ公使)
日本にとって初の条約(アジア除く)であり、メキシコにはアジアの国と初締結した条約
1882年(明治15年)
三国同盟(独伊オーストリア=ハンガリー)
=7月23日
壬午事変(朝鮮事変)
高宗 興宣大院君 閔妃 堀本禮造
10月10日
日本銀行が開業
1883年(明治16年) 11月28日
鹿鳴館の開館式
井上馨
1884年(明治17年) 8月5日
清仏戦争の勃発
清、フランス 仏領インドシナの成立欧米列強による植民地戦争を、清の力で阻止することは不可能だということが明らかになった戦い
12月4日
甲申政変
金玉均、徐載弼(ソ・ジェピル)、竹添進一郎、閔妃、袁世凱
参加した人物の三親等までの近親者が殺された。
江川達也「日露戦争物語」
1885年(明治18年) 12月22日
伊藤博文が初代内閣総理大臣になる
伊藤博文
1886年(明治19年) 10月24日
ノルマントン号事件
井上馨、J.W.ドレーク 船の難破で外国人船員だけ救出し、日本人乗客25名が救助されなかったことにより国民感情が爆発。
1887年(明治20年) 11月
東京電燈株式会社が送電を開始
矢島作郎、藤岡市助、大倉喜八郎、原六郎、三野村利助、柏村信、蜂須賀茂韶など数名 東京電燈はドイツAEG製の交流50Hzを使用したが大阪電燈はアメリカGE製の交流60Hzを使用。これが今も続く関東・関西でのHzの違いの始まりである。
1888年(明治21年) 7月15日
磐梯山が噴火と共に山体崩壊
死者477人
1889年(明治22年) 2月11日
大日本帝国憲法発布
黒田清隆 伊藤博文 天皇を国の元首、統治権の総攬者(そうらんしゃ)としての地位に置いた
ニコニコ動画:【月読アイ】大日本帝国憲法発布ノ勅語の奉読1890年(明治23年) 7月1日
第一回衆議院総選挙
定数は300に対して872名が立候補 国税15円以上納税している25歳以上の男子のみ 近代以降諸統計に衆議院有権者数、投票者数の推移あり 有権者は総人口の45万人(約1.1%) 当時の米価格換算で国税15円というのは米450キロ相当
9月16日
エルトゥールル号遭難事件
明治大帝 日本とトルコの友好関係の起点となった事件
電話交換サービスが開始(東京-横浜)
電話線に夫に届ける為の弁当を括り付けた事も。
1891年(明治24年)5月11日
大津事件(ロシア帝国の皇太子・ニコライ暗殺未遂事件)
ロシア帝国の皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)
津田三蔵 ギリシャ王国王子・ゲオルギオス 有栖川宮威仁親王
大国ロシアの皇太子を負傷させたとして、「事件の報復にロシアが日本に攻めてくる」、と日本国中に大激震
5月20日
忠臣愛国の「烈女」、畠山勇子(大津事件秘史) 烈女・畠山勇子 大津事件で日露関係が緊張した際、被害者のロシア皇太子に謝罪の遺書を残して自殺した女性 彼女の死は、ニコライ皇太子に宛てた遺書やセンセーショナルな新聞の報道などによって国際社会の同情をかい、ロシア側の寛容な態度(武力報復・賠償請求ともになし)につながったとの評価も
10月28日
濃尾地震(日本最大の直下型地震 M8.0)
死者7,273人 負傷者17,175人 14万戸が全壊
1892年(明治25年)7月15日
震災予防調査会が設置される
大森房吉
1893年(明治26)8月12日
「君が代」など八曲、祝日大祭日儀式の楽曲に選定 公示されたのは、「君が代」、「勅語奉答」、「一月一日」、「元始祭」、「紀元節」、「神嘗祭」、「天長節」、「新嘗祭」の八曲
1894年(明治27年)3月28日
金 玉均(キム・オッキュン)の暗殺
福沢諭吉、金玉均、閔妃(ミンビ)、三浦行使 金玉均は凌遅刑にされ、五体が引き裂かれた。写真現存有り。 脱亜論
7月16日
日英通商航海条約
青木周蔵 キンバレー
8月1日
日清戦争勃発
陸奥宗光、伊藤博文、川上操六、李巧章 戦争結果 日本側死者(病死含む)1万3311人戦傷病3758人 清側 死傷3万5千 結果 日本の勝利
ニコニコ動画:日本海軍の歩み:第1回 【創設~日清戦争】9月15日
日清役平壤戦
中将野津道貫 大佐佐藤正 少将立見尚文 少将大島義昌 日本軍は清国軍と平壌にて戦闘を交えます。対清宣戦の大詔渙発以来、初の大戦にして、日清戦争に於ける最大の会戦 清軍戦死2,000人、捕虜600人、日本軍は戦死180人
9月17日
日清役黄海海戦(鴨緑江海戦)
司令長官伊東祐亨 提督丁汝昌 日本連合艦隊は黄海において清国北洋艦隊と海戦、これを撃破 清国艦隊の損害は経遠・致遠・超勇の3艦は撃沈、揚威は焼毀、その他大損害を受けたもの多数 日本は大破2隻のほかは被害軽微
1895年(明治28年)1月14日
尖閣諸島、日本領に編入
2月2日
威海衛占領 日本軍(第二軍)は威海衛と北岸砲台を占領 北岸砲台占領には、負傷者1名
3月19日
清国講和全権李鴻章来日 李鴻章
3月24日
李鴻章狙撃事件
李鴻章 小山豊太郎 この不祥事が外国の非難を招きはしないかと恐れた日本政府は、李の望む停戦を無条件でのむと提案
3月30日
日清休戦条約調印
陸奥宗光 李鴻章 この休戦条約をもって日清戦争は終結
4月17日
日清講和条約(下関条約,馬関条約) 伊藤博文 児玉源太郎、陸奥宗光 李鴻章 朝鮮国が独立自主の国であることを確認 遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の日本割与 賠償金2億テール(4000億前後) この条約によって朝鮮王朝は清の冊封体制から離脱して大韓帝国となる
4月23日
三国干渉 ヴィルヘルム二世、ニコライ二世 臥薪嘗胆。下関条約からわずか一週間でこの勧告。もっと強くあらねば、と皆が思うのは想像に難くない
5月23日
台湾民主国独立宣言
5月29日
日本軍が澳底(現在の台北県貢寮郷)に上陸
6月1日
清国代表李経芳と日本代表樺木により台湾割譲成立
10月8日
李氏朝鮮閔妃殺害事件
朴銑、李周會、尹錫禹
11月18日
台湾総督府による全島平定宣言
伊藤博文 樺山資紀
1896年(明治29年)6月15日
明治三陸地震(津波の高さ 最大38.2m)
死者21,915名 不明44名
11月15日
豊田佐吉の自動織機発明
1897年(明治30年)10月1日
金本位制が実施される
1898年(明治31年)
戊術の政変
康有為、光緒帝、西太后 光緒帝幽閉 陳瞬臣「中国近現代史」
ブーア戦争開始
イギリス大苦戦、日英同盟をくむ要因の一つ
米西戦争
アメリカがフィリピン、グアムを獲得
1899年(明治32年)7月17日
不平等条約の改正
諸外国との条約が改正実施され、日本が欧米諸国と対等の位置に ←ソース求む
6月21日
義和団事件
西太后 清国が連合軍に宣戦布告
8月25日
ドイツの哲学者 フリードリッヒ・ニーチェ 死去
11月12日
日本海軍に「三笠」登場
1901年(明治34年)
北京議定書調印
1月22日
ビクトリア女王81歳で死去
7月15日
アメリカでアドレナリンの特許取得 高橋譲吉 「アドレナリン」を発明。
12月10日
ノーベル賞 第1回受賞式
12月12日
大西洋横断無線電信の実験に成功
マルコーニ(イタリア)
凧につけたアンテナで受信。
発信したのはアルファベット文字の"S"。
1902年(明治35年)1月23日
八甲田山,死の行軍.陸軍第8師団青森歩兵第5連隊の199名が凍死
神成文吉、山口鋠大尉、後藤房之助伍長
生存者・・・倉石一大尉(山形)、伊藤格明中尉(山形)、長谷川貞三特務曹長(秋田)、後藤房之助伍長(宮城)、小原忠三郎伍長(岩手)、及川平助伍長(岩手)、村松文哉伍長(宮城)、阿部卯吉一等卒(岩手)、後藤惣助一等卒(岩手)、山本徳次郎一等卒(青森)、阿部寿松一等卒(岩手)
陸上自衛隊第5普通科連隊『陸奥の吹雪』
(陸上自衛隊第9師団、非売品
青森県立図書館蔵)
1月30日
日英同盟
林董駐英公使、ペティ=フィッツモーリス 調印即時発効
10月16日
犯罪者の識別法として 「指紋」を採用 フランスが正式採用
12月10日
アスワン・ダム 完成。 エジプト・ナイル川流域
12月30日
日露開戦に向けて参謀本部・軍令部の合同会議
ライト兄弟が人類初の飛行実験に成功する ウィルバー・ライト、オーヴィル・ライト
1904年(明治37年)2月8日
日露戦争勃発
ニコライ二世、桂太郎 今日の正露丸(発売当時は征露丸)は日露戦争にちなんでいる 戦争の損害 日本側 死亡11万5621人 負傷15万3584人 ロシア帝国側 死亡4万2628人 負傷14万6032人 結果 日本の勝利
ニコニコ動画:ロシアから見た日露戦争1/62月23日
日韓議定書調印
2月24日
第一回旅順口閉塞作戦
東郷平八郎 有馬良橘中佐 広瀬武夫少佐 齋藤七五郎大尉 正木義太大尉 島崎保三中尉 将官、下士官合わせて計77名で編成 閉塞隊の任務は、砲台からの猛撃が確実視される敵の陣地での作業生還は期しがたい、約2,000名という多数の希望者が「我も我も」と先を争って願出
3月27日
第二回旅順口閉塞作戦
広瀬武夫 七たび生まれて国に報ぜん一死 心堅し・・・
7月
シベリア鉄道(全長8,314km) 開通
長崎-基隆(台湾)の630海里の通信成功 読み方:基隆(キールン)、台湾北部にある省轄市。省轄市とは中華民国の地方自治体の一つ。
3月20日
黄海海戦
東郷平八郎 秋山真之 ヴィリゲリム・ヴィトゲフト
8月22日
第一次日韓協約
1905年(明治38年)1月1日
日露戦争:旅順攻略
乃木希典、ステッセル
1月28日
竹島を島根県隠岐島司の所管と閣議決定
桂太郎(総理大臣) 東島(女島)、西島(男島)と呼ばれるふたつの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.23km2で、東京の日比谷公園の1.4倍程度の島
外務省:竹島問題1910年3月1~10日
奉天会戦
大山巌 乃木希典 黒木為楨 秋山好古 アレクセイ・クロパトキン
日露戦争中最大で最後の陸戦 日本は25万、ロシアは37万という兵力を投入
5月27~28日
日露戦争:日本海海戦
東郷平八郎、秋山真之、乃木希典、伊藤博文、児玉源太郎
バルチック艦隊と衝突。哨艦「信濃丸」(火花式36式無線電信機搭載)から"敵艦見ゆ"の信号を受けた。東郷平八郎は"直ちに出動,これを撃滅せんとす."本日天気晴朗なれども浪高し"と打電。
司馬遼太郎「坂の上の雲」
7月27日
桂・タフト協定
韓国(大韓帝国)における日本の支配権を確認した。
交換条件として、日本は米国のフィリピンの支配権を確認。
7月31日
樺太の占領
原口兼済 リヤブノフ
9月5日
ポーツマス条約(日露講和条約)
小村寿太郎、セルゲイ・ウィッテ、S・ルーズベルト
この条約において、日本は、満州南部の鉄道及び領地の租借権、大韓帝国に対する排他的指導権などを獲得したものの、戦争中に軍事費として投じてきた国家予算の約4倍にあたる20億円を埋め合わせるはずの賠償金を取れなかった為、日本国民が日比谷焼打事件などの暴動を起こす原因に繋がる。
9月5~6日
日比谷焼き打ち事件 東京に戒厳令
9月11日
戦艦「三笠」爆沈
連合艦隊旗艦「三笠」が佐世保港内で突然爆発炎上し沈没しました。
その死者251名
11月7日
第二次日韓協約
韓国統監府設置
12月20~21日
韓国統監府設置伊藤博文を韓国統監に任命(21日) 伊藤博文
1906年(明治39年)3月7日
米・カリフォルニア州議会、日本移民の制限に関する決議案採択
8月1日
関東都督府設置
9月1日
「ゴールデンバット」発売 10本入り、4銭
10月3日
国際遭難信号 "SOS" 採用決定 ベルリンでの第1回国際無線電信会議にて
10月17日
1800km離れた場所からドイツ皇太子の肖像写真を電送 物理学者コルン ドイツ・ミュンヘン大学にて
11月26日
南満州鉄道株式会社設立 後藤新平
12月24日
世界初のラジオ放送に成功 レジナルド・フェッセンデン(カナダ生・アメリカ人)
1907年(明治40年)
三国協商成立(英露仏)
1月21日
東京株式相場暴落 (→恐慌)
7月24日
第三次日韓協約
7月30日
第一次日露協約
1908年(明治41年)
東洋拓殖会社設立 韓国の拓殖事業を推進するための国策会社農業経営や灌漑(かんがい)・金融事業を行う
我が国初の海洋局 "銚子無線電信局" 開局
1909年(明治42年)7月6日
韓国併合を閣議決定
9月
大韓帝国、民籍法を制定 個人の名前と戸籍の整理
10月26日
伊藤博文 暗殺
安重根
12月18日
アメリカ、満州鉄道中立化を各国に提案 前朝鮮総督伊藤博文が満州巡察の途、ハルピンの駅頭に於て、鮮人安重根に狙撃
8月22日
朝鮮併合(日韓条約調印)
李完用 寺内正毅(初代総督) これは当時欧米列強を含め、誰も抗議しなかった。
大逆事件(幸徳事件)
幸徳秋水、大杉栄 幸徳秋水ら多数の社会主義者、アナーキストらが政府の捏造により弾圧される。
10月1日
朝鮮総督府設置 寺内正毅
1911年(明治44年)2月21日
関税自主権回復 (日米通商航海条約改正)
江戸時代から続いた不平等条約がようやく完全に改正された
10月10日
辛亥革命勃発
(武昌蜂起) 孫文、黄興、宋教仁、蔡元培、趙声、章炳麟、陶成章 清朝打倒と共和制政体の確立
11月1日
清国政府、袁世凱を総理大臣に任命
11月1日
朝鮮総督府、総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」により「内地人ニ紛ハシキ姓名」を許可しないこととする 日本風の名前にする者が多数いたため制限。
1912年(明治45年)1月1日
孫文、南京で中華民国の成立を宣言。孫文は臨時大統領に就任。
1月6日
「対陸移動説」発表。
地球物理学・気象学者 アルフレート・ウェゲナー(ドイツ)
2月12日
清朝滅亡 宣統帝(溥儀)退位
3月10日
袁世凱、臨時大総統就任。
4月14日
イギリスの豪華客船「タイタニック号」 沈没
重量:(4万6329トン),
原因は氷山への激突。犠牲者の数は1513名。